「俺たちはあっという間に2、3年先に行っちまう、けどお前だけは変わらないでくれ」            



桜が舞い散る卒業式、別れ際にその男はそういった。
何度、夢の中で持っている卒業証書を、そいつに叩き付けてやろうと思ったことか、けれど、実際のあたしはそうはしなかった。あたしをみつめる青い瞳と、うつむいた足下にふわり、と降り積もる桜の花びら、噛みしめた唇の痛み、これが覚えている記憶の中で、一番鮮明な記憶。





平日のラブホテルは閑散としていて、数組の不倫カップル以外に客はいなかった。テーブルにちらばったアルコール飲料の缶、ゴミ箱に届かずに床に落ちた使用済みの避妊具、その横には下着と、今ではお飾りでしかない氷帝学園高等部の制服が、脱ぎ散らかしてあった。自分の上にある重い男の腕をどかして起き上がる。頭痛がし、今が何時だかも思い出せず、あたりを見回した、ついでに横に寝ている男が誰だかも思いだせない。
                

「またか...........」
                

よこに置いてある煙草に火をつけようとライターを手に取る、つい数時間前までの記憶もないのに、なぜか先ほどみた夢はリアルに思い出せるのが嫌で、煙草に火をつける手に苛立がつのる。煙を肺まで吸って大きく吐き出す。

                
二年前の春にあたしは氷帝学園の中等部を卒業した。あの時、桜色の洪水の中でそう言った男とはそれから一度も話していない。最後に言われた言葉が消化出来ない異物のように、あたしの中に残り、腑に落ちないままあたしはこの二年間を過ごした。言われた言葉の意味がわからないほど馬鹿ではないけれど、それを純粋に受け止められるほど、あたしの心も体も素直ではなかった。あの男はあたしの手に触れた事もない。


急に寒さを覚えたが、隣で寝転がっている名前も知らない男に身を寄せる気がおきなくてあたしは裸の自分の体を抱きかかえた。この部屋の惨状と自分のだらしなく白い脚が妙にマッチしていて可笑しくなる。二年前卒業証書を手に一言も発せず、立ち尽くしていた少女はもういない。

自分は、どう変わってしまったのだろう。

どうして、その延長線上にあの青い瞳が、重ならなかったのだろう。
ゆらゆらと揺れる煙をながめていると、悲しみがうっすらとわき上がり、その向こう側に何かがみえた。


ぽろり、と灰が、瞬きの間、シーツに落ちる。


ああ、そうか。
あたしは彼の手によって変わるのならば、それですべて納得できたのだ。
彼によって少女から女へと落とされ、何もかもを知るのならそれでよかったのだ。

あたしは笑って、覚悟をきめただろう。




ガタンッ!
               
寝ていた男が寝返りをうって、その振動でテーブルの上の缶が床に落ちる、みるみる中の液体が絨毯に赤いしみを作ってゆく、その浸食をながめていると突如、ものすごい焦燥にかられた。乱雑に脱ぎ捨てられた下着と制服をひろい、急いで身につける、ネクタイをする暇もおしくポケットにそれをつっこんだ。鞄をつかんで外に出ようとした時、扉の横の鏡に自分の顔がちらっと写る、寝不足とアルコールで少し腫れた目、けれどその瞳に迷いはなくキラキラと輝いていた。
                
大丈夫、あたしは二年前よりもきっとー


                
夕方の町並み、人の流れとは逆方向にむかって歩く、急ぐ足音と、自分の鼓動だけがきこえる。
そういえば、今日は他校との練習試合があった、昨日クラスの女子がその話で盛り上がっていたっけ?それを思い出し、嬉しくなって思わず微笑んでしまう。もう、すれちがうだけで胸が高鳴ることもないし、その唇の感触を想像する事もない、恋のその先にあるもの、男女の思いが交わりあい行き着く先を、あたしはもう知っている..........けれど、だからこそ、今あの青い瞳をまっすぐ見つめ返す事が出来る気がする。


ボールがコート場に叩き付けられる音がきこえてくる。
ひらり、ひらり、と花びらが舞い散る二年前のあの桜の道を、あたしは息切れもせずに走った。














090505