たとえば、あのひとが触れる本のすべらかな白い紙とか、くちづける陶器の冷たい白磁とか、頬をよせるシーツのやわらかいリネンとか、そういうものにわたしはなりたいなんて、もし誰かがこっそり秘密をうちあけるように小さな声で言ったら、わたしはちょっと笑うかもしれない。「そういうものか」とか「かわいいな」とか思いながら。そうして、もしその時、少しだけわたしの心がさざ波のように荒れていたら「夢をみすぎている」と、すぐに視線をそらして、昨日塗った爪の真珠色が、今日もきれいに自分の細い手の上にならんでいるかどうか、それにだけ心をくだくかもしれない。

けれど、今、うすく見開かれた切れ長の瞳と、服の内側からひらり、とさしこまれる繊細な指の感触に「あ、夢をみている」と、今度はわたしが痛切に思う番だった。血管のうく首筋にしめられた濃紺色のネクタイがはずされる、一瞬それがはだけられたわたしの胸元をかすった、はじめて知る、その布のざらついた感触、甘い、感触。 みしり、と畳がきしんで、うすいくちびるが頬をなぞる。ゆっくり、やわらかく、柳の体が、わたしに落ちる。

二人だけの暗闇でみる柳の瞳は、美しい夜の森のようだった。




おたがいの足がくるまった毛布の中でゆきかう。
ゴツン、とぶつかって、そのたびに笑いあう。


「なんか.......ずるいな」

「なぜだ?」

「だって、わたし、やっと柳と出会ったんだよ」

「ああ、そういえば」

「立海にずっといたのに、今の今になって柳をみつけるなんて」

「昨年まではお互い顔も知らなかったな」

「うん、話したこともなかった」



ゴツン、もういっかい足がぶつかる、今度はわざと。



「なのに、今は裸でお話してる、なんだかおかしいな」

「フッ...そうだな」

「羨ましい.......」

「何がだ?」

「わたしが出会う前の柳を知っている人たち」


すぅ、と細まった柳の瞳にあ、とおもう間もなくひきよせられた。
たやすくわたしを腕の中におさめて、耳元でひくい声がささやく。


「お前しか知らない事もあるさ、たとえば.........これ」


ふわりと髪にくちびるが触れる、やさしいキスの音。


「これも」


くびすじを長い指でなぜられる、つーとのこる、甘い爪あと。


「これもだ」


ぎゅうと体をだきしめる強い両腕、重なるあたたかい、肌のぬくもり。


「ぜんぶお前しか知らない」


繭のようなおだやかな柳の腕の中で、わたしは泣きそうになるのを嫌って目をとじる。この人は、なんでも見透かして、そのたびにほしい言葉をくれて、やんわりと私の心をいとも簡単に手懐けてしまう。まるで魔法のようだ。

おかえしにくちびるにキスをかえしたら、カサリと音がした。



「柳、水ほしい?」

「ああ」

「とってくるね」


急ごしらえの床から毛布をひっぱって、体にまとい、机の上の水さしまで歩く。





「....ん?」


はじめて名前で呼ばれてドキン、と心臓がはねる。


「そのまま」


毛布一枚をまとったわたしの姿を、写真をとらえるように数秒みつめる。
そうして柳は、うすく笑った。


「俺も存外、普通の男だな」


ほんのりと頬が染まる。


開け放たれた窓から6月の風が入り、柳の端正な顔にかかる前髪の一筋をゆらす。ああ、このひとの触れるものすべてになりたいなんて、そう思うのはなんて純粋なことなんだろう。もうわたしは、だれも笑えない。机の上の水さしの横に、ちょこんとコップが二つ仲良くよりそって並んでいる。わたしが柳の部屋を訪れるまえよりも一つふえた数、幸せの数だ。水をとくとくと、コップにつぎながら「そうだ、いつ蓮二て呼ぼう?」とわたしは思い悩む、なんて贅沢で幸福な悩み。できれば、思いがけない時がいい、彼がびっくりするような。誕生日のプレゼントはまだ鞄の中、そしてお祝いの言葉もまだわたしの中だ。ぜんぶ一緒に手渡そう、それがいい。

コップに満たされた水が光をうけて輝く。その反射が毛布からのぞくわたしの足にうつって、はじめてわたしは白い肌に畳の痕がのこっている事を知る。水の斑紋が螺旋状にゆらゆらとその肌に映えて、まるで刺青のようにきれいだった。恋するようないとしさで、わたしは、わたししか知らないその戯れの痕をやさしく撫でた。









100604................Happy birthday Mr.Perfect