近所で、女の惨殺死体が発見された。
警察や報道陣が連日つめかけ、黄色いテープがはられた場所を騒音とシャッター音で埋めつくす。大人たちは眉をひそめ、口々に噂話をし、そのスキを盗んで好奇心にかられた子供たちは、我先にへと事件現場を覗き見したがる。すべてが町始まって以来の大事件で、ちょっとしたダークなお祭り騒ぎみたいだった。

犯人は、まだ見つかっていない。


その日、彼氏と大ゲンカして部屋を追いだされたあたしは、くさくさした気分をもてあまして、テキトーに見かけたコンビニ前に乱暴に座り込んだ。手をかざして空をみあげれば、8月の灼熱の太陽が目を射す。お尻の下で焼かれたアスファルトの熱が、接触している肌という肌を焦がす。イライラした頭でポケットの中をさぐれば、煙草は最後の一本だった( クソッ )変な息づかいを感じて横をみると、一匹の野良猫がだら〜りと体をリサイクル箱の上に横たえ、溶けたようにのびている。野良のクセに、あたしに警戒する素振りもみせない。額を流れる汗を手でぬぐう。今日は暑すぎる。ライターで最後の煙草に火をつけた。

何人かのコンビニ客が、店前で煙草を吸う若い女をうろんな目でみつめる。うるさい。ほっといてくれ。ボーッとしながら、暑さで何にも考えられない頭をかかえていたら、吐いた煙の向こうに、長身の姿がぼんやりと写った。

イヤな予感がしてよーく目をこらすと、同じクラスの柳蓮二がこちらに向かって歩いてくる。ゲ......と心の中で毒づいた。クラスの馬鹿な連中なら誰でも良かったのに、よりにもよって柳蓮二とは。こんなイライラした最悪な状態で一番会いたくない人物だ。優等生で教師のお気に入りの彼と、年中問題児として教師に目つけられてるあたしは、クラスでは一度も話した事はない。思わず、さっと目をそらした。

?」

「.............」

「こんにちは」

「...........こんちは(ボソッ)」

店前で煙草を吸うヤンキー女をスルーせず、柳は普通に挨拶をしてくる。さすがは品行も良いという噂の柳。ご丁寧なことだ。上等そうな麻の白いシャツにジーンズという軽装で柳は、コンビニ前で座り込むあたしの横で足を止めた。もう挨拶はすんだので、さっさとどっか行ってほしいあたしはギロッと高い場所から見下ろしてくる彼を睨んだ。そしたら柳に「今日は暑いな」とまたフツーに返された。そういう柳の白い顔には汗の一滴も浮かんでいない。真夏の太陽の下でも体温が低そうな男だ。ケ、なーにが「暑いな」だ。

「夏じゃん、当たり前だよ」

わざと強い口調で言ったら、柳が考え込む顔つきになった。何か物思う所があるようだ。( 何で睨んでんのに、さっさとどっか行ってくれないんだろ )

数秒の思案後、柳はけろっとして言った。

「それは少し違うな」

「ハ?」

「正しくは、夏は暑く“なった”だ。」

「............どういうこと?」

大真面目な顔でいってのける柳に、あたしは白ける。

「俺達が普段生活している間に、二酸化炭素などを含む温室効果ガスが放出されている事は知っているな?」

「............さあ?(知らないよ)」

「わずかなら問題はない。だが近年それがどんどん増えており、そのおかげで地表の温度は過剰に上がり、地球上の生態系バランスを壊すほどまでになっている」

「........................」

「現在の世界各地での異常な猛暑は、これが原因だ」

突然はじまった柳の講義に、ポカーンとするあたし。 何言ってんの?
それに気づいて柳は「ああ、しまったな」と自嘲気味に笑った。

「わかりやすく言うと“大昔、夏は今ほど暑くはなかった”という事だ」

先ほどの難しい単語を止め、まるで猿にでもわかるように、柳は一字一句正確に発音した。あたしはムカッとする。何様だ、コイツ。

「じゃあ、暑いのはあたしたち人間のせいってこと?」

「すべての要因がそうではないが、地球温暖化に一役は買っているな」

「あっそ」

「とくに............」

すう、とあたしの指の間の煙草を、柳は指さす。
ニヤリと薄い唇の端が上がった。

「その二酸化炭素と有害物質を両方出す物体はかなり最悪だ」

ぎゅっと煙草を地面に押しつけて、あたしは立ち上がる。
もうこんな理屈ポイ奴と話す気はない。

「わざわざご講義ありがとう、じゃあね!」

「まあ待て、

お尻の砂埃をはらって乱暴に立ち去ろうとすると、拗ねた子供にするように柳はちょいちょいと手まねきをした。

「先程からお前は日射しにあたりすぎている。その調子ではすぐにバテてしまうぞ?」

「うっさい、カンケーないじゃん」

「何か冷たい物でゆっくり体を冷やした方が良い」

「いらない」

「そう言うな。丁度目の前に何でも揃っている店がある」

「あたし、お金ないし」

「それは良かった」

「は?」

「俺はある」

チラッと、ガラス越しの店内にならぶ大きな冷凍庫をみて、柳は聞いた。

「アイスクリームは好きか?」


あたしの返事を待たずに柳はさっさとコンビニに入り、すぐに2個の丸いカップを手に戻ってきた。「ほれ」と1個をあたしにポーンと放り投げる。あわてて渡されたアイスを受け取る。蓋はすでに開けられ、ご丁寧にも食べやすいようスプーンが突き刺さっていた。

「柳、アンタ何考えて..........」

「早く食べないと溶けるぞ、?」

すでに自分のアイスをスプーンですくっている柳が言う。逃げるチャンスを失ったあたしは、しぶしぶ突き刺さったプラスチックの持ち手に手をのばした。手の中のアイスクリームは冷たく、ひんやりと気持ち良かった。悔しい。

「なんだ、バニラ味は嫌いか?」

「............別に」

「何なら俺のと交換しても良いが?」

「もう一口食ってんじゃん、柳」

「俺はかまわないぞ」

「あたしがかまうんだよ!」

「遠慮するな」

「いーって!いらないって!」

「ホレ」

「あーーーもう!いいから!」

「バニラ味は嫌いなんだろう?」

「好きだよ!バニラ味は大好きですよっ.............!!」

「それは良かった」

してやったりという風に柳が笑った。
正にしてやられて、あたしはイヤそーに顔をしかめる。
それを見て、さらに柳はカップの影から薄く笑った。
くっそーこの男め。


何人かのコンビニ客が、店前でアイスを食べる真面目そうな若い男と、その横のいかにもガラの悪そーな若い女に、怪訝な視線を投げてゆく。あーわかってますよ。似合わない2ショットてのは。うるさい、ほっておいて欲しい。コレじゃ、知らない人間が見たらあたしがカツ上げしたみたいで(しかもアイスを)落ち着かない。大体、あの事件が起きてから、この町の空気はピリピリしすぎている。ざくざくアイスをスプーンで口に運んでいたら、同じことを思っていたらしい柳がポツリと呟いた。

「近頃日没後には、あまり外を出歩きたくない雰囲気だな」

「.........あーそっかもね」

「あの事件は聞いているな?

「当たり前だよ、みんな会えばその事しか言わないし」

「そうだな」

「うちの親なんか、一人で出歩くなってうるさくって」

「そうか、俺の家でも門限が厳しくなった」

「へ、柳ん家でも?.........意外」

「なんだそれは?」

「だって柳男じゃん?殺されたの女だよ?」

「だからだ」

「は?」

「うろうろして不審者と間違われるな、とさ」

「ぷっ.....!」

夜にうろうろして通報される柳を想像したら、思わず笑った。
その笑い声に、柳はイヤそーに眉根をしかめる。

「柳みたいなデカイ男が暗闇から出てきたら、あたしは絶対通報するな」

「それは流石に傷つくぞ?

一人でウケているあたしを、柳は納得いかげに見ている。
ざまーみろ、さっきのお返しだ。

しこたま笑ってから、アイスの最後の一匙を口にいれた。さっきまで暑くてイライラしていた気分が、冷たいアイスが喉奥に消えると共に、不思議と一緒に消えて行った。食べ終えたアイスカップをゴミ箱に捨てて、礼を言うかどうか迷って、とりあえずまた柳の横に座った。太陽はだんだんと西へ沈み、今では時々涼しい風がふくようになって気持ちいい。店前を行きかう人間も減った。横を見れば、柳はまだアイスを静かに口に運んでいる。切り揃えられた前髪が風になびいて、あたしは初めて柳の顔をマジマジと近くで観察する。ハーいかにも育ちの良さそうな顔だ。そういやうちのクラスでもキャーキャー言ってる女子いたな。コレじゃー通報しても不審者て信じてもらえないレベルだわ。そんなよくわからないアホな感想を抱いた。うーんと両足をのばしてあたしは風にふかれるままにした。何だか眠たくて、くつろぎたい気分だ。

「大体さー、人殺したりとかってわかんないよ」

「そう思うか?」

「そうだよ、何が悲しくって人一人殺さなきゃいけないわけ?」

「ふむ」

「もし捕まったらその後の人生、一生刑務所だよ?」

のその理屈でゆくと、捕まらなければ良いという事になるが?」

「そーじゃなくって!」

「ふむ」

「だからさ、この世には憎くて殺してやりたい!て思う人間てそりゃーいるかもしれないけどさ」

にはいるのか?」

「え?」

一瞬、さっきマジ切れのケンカであたしを部屋から真夏の炎天下へ追い出した彼氏の顔が頭に浮かんだ。おっと、いけない。あわてて意識を柳の横顔にスイッチさせる。

「あたしのことは良いから、だからさ、いくら憎いからってその憎い奴にも家族や仲間がいたりするんだから、何で殺す前にそのことが一瞬でも頭をよぎらないのかってことよ?」

「つまりは“大事な相手”がいる人間は殺してはいけない、と思っているわけだな?」

「んー..........なんか微妙な言い方だけど、そうだよ?」

「なら、まったくの天涯孤独の身の人間はどうなんだ?」

「へ?いや、だから」

「そういう人間は殺されてもかまわないという事か?」

「ちがうって、だからもー何でそう理屈っぽいかな!柳は!」

激昂したあたしは、思わず柳の横っ面をひっつかんで叫んだ。

「自分のエゴで人を殺してはいけません!」

その瞬間、柳の目がすぅ、と薄く見開かれた。
あたしはゾクリとする。初めてみる柳の両眼は、暮れゆく空のせいか、ずっと、ずっと深い、想像もできないような夕闇の色だった。曝けだされたその二つの瞳だけが、整った大人ぽい顔の造作に似合わず、まだ純粋な探究心だけに光っている。あたしは本気で心配になる。ああ、柳蓮二、この男には感情論じゃ無理なんだ。もっと賢く、理論的に言わないと。足りない頭を総動員して、あたしは必死で考えた。

「だからさ、もしここであたしが柳に人を殺してもいいよ?て言ったらさ」

「柳に“あたしを殺す許可”を与えるようなもんじゃん?」

えーと、えーと、と頭の中で考えをめぐらせながら、必死に柳の瞳をみつめた。

「あたしは柳に殺されたくないから金輪際そんな許可は与えません!」

ついでに「優等生の柳と問題児のあたしじゃ、柳の正当防衛て思われるだろーし.........」とつけくわえたら、そこで柳がわずかに微笑んだ。

「それものエゴだな」

「うっ........」

「だが、納得した」

頬にかかるあたしの手をつかんで下ろし、柳は前を向いて言った。冷静な声だった。あたしはホッと胸をなで下ろす。なぜか全身にドッと疲れを感じた。柳との会話はふだん使わない部分の脳みそを使うせいか、きつい。でも、何故か嫌な感じはしなかった。

「フッ........」

「何?」

「いや、もしこの世がみたいな人間ばかりなら、さぞかし平和だろうなと」

「それ.....主に頭がめでたい、て意味で言ってない?」

「そう聞こえるか?」

「いや.....ただのあたしの僻みか」

「そうだぞ、めでたくて何が悪いんだ?」

「................(やっぱ何かムカつくな)」


「あ、柳。でもダメだ。あたしばっかりじゃヤバイ」

「どうしてだ?」

「この世の教師が全員心労でハゲる」

「ハハ」

意外に柳にウケた。つい、つられてあたしも一緒に笑った。
笑い声が、かさなって夕暮れに消える。柳の声はゆっくりと低く、そばで聞いていると涼しさすら錯覚させた。さっきまではあんなに気に食わない奴だと思っていたのに、何だか今はそう悪くない気分だった。変な意味ではなく、好きになれそうだった。

一瞬だけ風がやんだ。
風がやむと、昼間の熱を孕んだ生ぬるい空気が、じっとりと二人の体を包む。先程あたしの腕をつかんで下ろした時、柳は手をすぐ近くにおいた。無意識だったのかもしれない。そのせいで、さっきからわずかに指先が触れあって..........それも柳の無意識なのかわからなくて、あたしは戸惑う。少しだけ離れようとしたら、柳がチラッとこっちを見て微笑みまたすぐに前を向いた。「気付かれたか」という風情だった。全然悪びれない。その優等生らしくない悪戯ぽさに、あたしは一瞬ドキッと惹かれた。落ち着け!とあたしは意思とは逆にだんだん赤くなってゆく頬を叱咤した。さっき感じた好意は、変な意味ではなかったはず――

ふう、と柳が物憂げに溜息をついた。

「柳?」

柳は遠くをみていた。
町の風景でもなく、暮れゆく綺麗な空でもなく、そのすべての中心に沈むものを見ていた。血の色にも似た、赤い、赤い、太陽。 そうして、柳はそっと呟いた。

「こう暑いと、気の狂れたことの一つもしてみたくなるな」

その瞬間。
本能の、何かが、ざわっとした。

「近頃日没後には、あまり外を出歩きたくない雰囲気だな」

じゃあ.........何で柳はさっき偶然ここにいたんだろう?

あたしは柳を見つめる。
柳もあたしを見つめる。
柳の黒い瞳の中に、あたしの顔が映りこんでいる。
その表情が徐々に、恐怖に染まってゆく。


頭の中を、記憶が交差する。
そうだ。
何かを思い出さなきゃ。
今。
大事なこと。
早く、思い出さなきゃ。
今すぐに。
すごく、大事なこと。
そうだ、まだ


犯人は、見つかって


「............怖いか?」


柳の低い声が落ちる。
その冷たく、魔力みたいな甘い声色に、体が震えた。

「あ............」

答えようとしたら喉がカラカラだった。
魅入られたように、体が麻痺して動けない。
今度こそ、わかりやすいほどハッキリと柳は指に触れた。
その敏感な爪先の部分から、ゆっくりと、甘く、妖しい毒が浸食してゆく。狡猾な捕食者が獲物を誘惑しようとする仕草だと、心のどこかで知っている。でも、その触れ方は弱く壊れやすい物を扱うようで、なんとも優しく――
その感触。
今なら、わかる。
なんで、あんなにあっけなくあの女の人が殺されたか。

ああ、気づいたとしても
もう、遅いけれど.........

すべてを後悔して、あたしは目をつぶった。




ガシャンッ!!

勢いよく耳のそばで音がはじけた。
寝ていたはずの野良猫がリサイクル箱を蹴飛ばし、素早く路地裏にかけこんでいった。

一瞬、柳はそれに気をとられる。
あたしはその瞬間、もてるすべての精神力を使って座っていた地面から立ち上がった。

「あ、あたし......帰る!!」

っ.....?」

柳の制止をふりきり、あたしは走った。
途中で何かがポケットから落ちる音が聞こえたけれど、かまわずあたしは走った。もう息切れするほど走った所で、チラッと後ろを振り向いたら、はるか遠い後ろで、柳がかがみこんで何かを拾う姿が見えた。それを確認して、あたしはまた全速力で走った。どれぐらい走っただろうか。ようやく見慣れた自分の家の明かりを発見した時、あたしはやっと速度を落として、肩で息をしながら、そのわずかな明かりを頼るように歩いた。玄関の扉を開けると同時に携帯の着信音が鳴った。震える手でポケットから携帯を取り出し、そこから彼氏のマヌケな声が聞こえた時、あたしは自分の頬が涙に濡れていることに気がついた。



***



数日後、犯人は捕まった。
あたしは朝食時のTVのニュースで、それを知った。
母親の「やっと捕まったわね、怖かったわー」と言う声を、他人事のように聞きながら、あたしは画面向こうのまったく知らないその犯人の顔を見つめた。


今日も、あたしは柳と学校で顔をあわせる。

なんだかんだで、ケンカばっかりしてた例の彼氏と別れたあたしは気楽な独り身になった。なんだかんだありそうな柳も、いまだに一人で我がクラスの優等生の座を守っている。この間みたらまた成績の順位を何位も上げていた。あたしはあいかわらず落第しない程度のスレスレの所にいて、毎日教師に怒られている。二人の名前が一緒にならぶ日は、永遠に来なさそうだ。煙草を吸いたい時、ポケットに手を入れたあたしは、いつもそこで悪態をつく。

「.........柳」

「何だ?

「ライター返して」

「俺の部屋にある」

「..................」

「取りに来るか?」

いつもそこで柳は、あのあたしが勘違いした人の悪い笑みを浮かべる。

「別に怖くないし」

「取って食うかもしれんが、かまわないか?」

「......っ!」

「なんせ、俺は冷酷で恐ろしい殺人犯らしいからな」

「だから.....アレは!」

「普通、人が口説こうとしているのに勘違いするか?」

「!?」

「何だ、気付いていなかったのか」

「......................柳の本気はコワイんだよ(ボソッ)」

「それは悪かった」

「あたしも..........ゴメン」

「フ......」

笑って、しかたなさそうに「来い」と手まねきし、柳は鞄をつかんだ。しぶしぶながらも、前よりも少しだけ素直にその後をついてあたしは歩く。光の中でみる柳の背中は、まったくもって健全に見えた。時折、ふりかえってこっちを見る様は、安心感すら感じさせる。

それでも..............
あの日、真夏の魔力でぐんにゃりと歪んで、少しずれてしまったあのもう一つの恐ろしい世界を、ふとした瞬間に、あたしは思い出す。冷たく、魅惑的な笑みを浮かべ、ゆっくりと暗闇に消えてゆく柳の姿を。そしてその世界の美しい殺人犯である彼の部屋で、人質になっているライターの存在を。


夏は誰もが狂う。




120805