幸村さんがかなりホラーでバイオレンスです、閲覧の際はご注意を
          








(蜻蛉玉の髪飾りか............好きじゃないな)

目の前で、甲斐甲斐しく花瓶の花をとりかえるをながめながら、口には出さずに、心中でつぶやいた。

(きっと、弦一郎の好みだろう)

以前はキラキラとしたビーズや、花柄の少女らしい髪留めで綺麗に飾られたの髪を懐かしく思う。俺はあの無頓着に周りにかわいらしさを振りまく感じが好きだったのに。

                    
「他に何か必要なものある?」
                    
「いや、無いよ、ありがとう
                    
「うん」


文庫本をパタンっと閉じて、の方を向いた。少し手持ち無沙汰に訪問者用の椅子に座る。彼女は病室を見回し、見つめる俺の視線には答えずに他に何かできる事はないか、そわそわと目を泳がせている。女性らしい細かな気配り、と思いたい所だけど...........本当はちがうだろう。病人と薬くさい病室で差し向かいで話すことに対する遠慮、それは...........少しはあるだろうが、これも本当はちがう。が俺と視線をあわせない理由。彼女が他の男の好みの髪飾りをつける理由。視線を落とすと、白いシーツと同化するほど細く白くなった自分の腕、その上には青い血管が浮き立って見える。そうだ、数ヶ月前の俺ならそんな事、知らなくても良かったんだ。



                  
「すみません、ありがとうございました!」

あの日、栗色の細い髪に葉っぱやら枝やらを絡み付かせて、は俺の腕の中に落ちて来た。二階から友人が落とした携帯を、取ろうと木に登った所までは良かったが、枝にひっかかった携帯を取り、いざ降りようと後方を見下ろした途端、その高さに怖くなったらしい。
 

「大丈夫だよ、思い切って飛び降りてきな。俺が受け止めるから」


偶然通りかかった俺は、木の上で震える女の子に話しかけた。それは危ない、と教諭を呼ぼうとする真田を制し、俺は怯えるに腕を広げる。

                    
「おいで...........ほら?」


しばしの葛藤、困惑、逡巡。俺の目をみつめて、意を決したかのようには目をつぶった。そして一瞬の衝撃の後、はすっぽりと俺の腕の中に収まっていた。その意外な軽さ、暖かさ、そして「怪我がなくて良かった、いや、させなくて良かったよ、ハハ」と笑った俺をみつめる瞳が、熱をおびていくのを俺は感じていた。その後に「女子が木登りなどと!」と説教を始めそうになった真田に怯えて、俺の腕の中で小さくなった事も。

の髪に飾られた蜻蛉玉が、光に反射してキラッと光る。その光で、俺は記憶の底から一瞬で、自分が今白い病室でベッドに横たわっている事を思い出す。あの日、腕の中に感じた暖かさの正体は、今は俺の眼前にて後ろめたさを隠そうとするかのように俯いている。伏せた睫毛の下の瞳は、読み取れない。


「真田くん、遅いね」

「...........そうだね」

「あっ!梨食べる?ちょっと季節はずれだけど美味しそうだよ」

「うん」


そういって、見舞い用の果物が入っている籠から梨を取り出し、はフルーツナイフで器用にくるくる皮をむいていった。の横のサイドテーブルには、彼女が持ってきた雑誌や新刊の小説が並べられ、それら全てが俺の好みのもので誰と一緒に選んだかは明白だった。この子はもう弦一郎に話しかける時にびくびくと怯える事はないんだろうな、目の前のを見つめながら、そう思った。

                    
「あっ」
                    
梨を半分に切り、その断面を見たが突然声を上げた。
                    
「どうしたの?」
                    
「あちゃー、虫食いだ、この梨」
                    
「どれ?...........ああ、本当だね」
                    
「中ちょっと腐っちゃってるね」
                    
「結構長い事置いてあったからね、気づかなかったよ」
                    
「外側はきれいだからわかんなかったね」

                    
見事な秋月梨の半分は、完全に腐って黒々と変色しており
もう半分にもその浸食が少し伝わっていた。

                    
「片方の変色した部分を切ったらまだ...........」
                  
 
               
ガコンッ!!!

                                         
俺が言い終わらないうちに、が梨を丸ごと全部ゴミ箱へ捨てた。手についた皮切れや汁を、手早くティッシュで拭いながら「残念だったね」と眉をしかめて「あっ林檎があるよ?林檎にする?」とすぐに笑顔で問いかけてくる。

                     
「あー...........、今の切ったらまだ食べれたかもしれないよ?」


それを聞いたは、きょとんとした顔をして俺を見つめた。

                     
「うん、でもさーそんなの幸村に食べさせるわけにはいかないよー」
                     
「俺はかまわなかったよ、全然」
                     
「うん、そうだけさー...........もしかしたら不味いかもしれないじゃん?」

                     
そう言って笑いながら、は目の前で林檎を手に取り、それを先ほどのフルーツナイフでまた剥こうとした。一刀目が林檎に刺さる瞬間、病室に静かに皮が剥かれゆこうとする音がする直前、さっきの会話の続きを俺は口にした。

                  
「...........俺の事もそんな風にして諦めたの?」

                                         
シャキッ

                     
の腕の中で滑ったナイフは、皮ごと大きな林檎の肉片を切り落とした。
それが地面にボトリと落ち、凍り付いたように彼女が俺を見つめる。

                        
「ねえ...........?」


は俺を見つめたまま答えない。ベットから這い出てにじりより、ゆっくりと彼女の手からナイフと林檎を奪いとった。至近距離で彼女の頬をつかむ。ビクっとなったの頬は、つかんだ俺の手と同じ白さだ。

                     
「ちゃんと答えて、?」
                     
「あっ...........あ」
                     
「...........聞こえないよ?」
                     
「幸村...........」
                     
「...........イエスかノーか答えるんだ、
                     
「ご...........」
                     
「ちがう!!!!」

                     
見つめるの黒い目に、恐怖と困惑がぐちゃぐちゃになって表れる。
なおも手を離さず、俺はその目に問いかける。

                     
「そうじゃない」
                     
「ゆきむらっ...........」
                     
「そう答えるんじゃない」


                     
もし今が“それ”を言ったら俺は、俺は、

                                      
「ゆき...........むら、ご...........」

                  
俺は彼女を許せなくなってしまう。

                    
「ごめんなさいっ...........!!」

                  
の頬をつかんで力の限り自分のベットに押し倒した。細い体はいとも簡単に人形のように、俺の下に崩れる。薬くさい枕とシーツの間にその頭を押し付けながら、首をしっかりと両腕で掴むと彼女の皮膚の下で、ドクドクと波打つ血管の暖かい鼓動が指につたわった。生きている人間の懐かしい感触だ。
                    
「ゆきっ..........苦しぃ...........」
                    
あの日に感じた彼女の暖かさを、もう一度腕に取り戻しながら、俺は彼女の目に生理的な涙が落ちるのを、とても愛おしい気持ちで眺めた。今や病的な俺の腕よりも、じょじょに白くなってゆく彼女の顔。その顔の上に流れる涙を悪戯にぺろり、と舐め、やわらかい首筋に顔を埋めながら俺は走ってくる足音を遠くに聞いた。その足音は、とても急いでこちらに向かっていた。

不審な音を聞きつけてきたナースか?それともあれは、遅れてしまったと面会時間に急ぐ真田の足音か?もしかしたら、他の部員かもしれない、最近は来ていなかったからな、真田にくっついて来たのか.....................いや、けれど、あの足音には聞き覚えがある。あの自信に満ちた足取り、何も恐れない確固たる歩き方。いつかの大昔に、眩いコート上を駆け抜けていたのは、あの足音ではなかったか?あの、俺しか知らない足音。

が懇願するような涙目で俺を見上げ、段々光を失ってゆくその目で、ゆっくり腕を俺のほうに伸ばした。彼女の震える手が、俺の顔に触れた瞬間、近づいてくる勝手知ったる足音と彼女の両方に言い聞かせるように優しく、全ての自嘲と皮肉を込めて俺は言った。




「大丈夫、ここは病院だ」








090830